宮古遠:落人俚伝

どうにもならないくせに生きてる

「逃避行」「逃避」がテーマの小説(新作書き下ろし限定)講評|2021.11.03

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製作者:不可逆性FIG(@FigmentR)さん


こんにちは、宮古遠です。

2021年9月18日~2021年10月16日にかけて、カクヨムの自主企画にて行いました『「逃避行」「逃避」がテーマの小説(新作書き下ろし限定)』ですが、ようやく、ご参加いただいた小説すべての講評を書き終えましたので、こちらにて掲載をさせていただきます。

kakuyomu.jp

はじめての自主企画でしたから、それほど集まることはないだろうと思っていました。が、最終的には19作品と、思っていた以上にいろいろの作品が集まりました。ほんとうにありがとうございます。

わたしなりに作品に対し、読み、思った事柄を講評として書きましたが、これらはあくまでも、わたし一人が作品に対しこう思ったという私的な文言に過ぎません。ですから、なにかちょうどいい塩梅にわたしの文言はうけ取っていただければなと(ないしはすべて無視していただければなと)、個人的には思います。

いろいろ前置きを書きましたが、今回、自主企画をやってほんとうによかったと思っています。逃避・逃避行をテーマとして、これだけいろいろと毛色の違う作品を読むことができたのは、とても楽しい事柄でした。参加いただいた皆様、ほんとうにありがとうございました。

講評ですが、作品のネタバレを多分に含みます。自作以外の作品の文言をお読みになられる場合はまず、その作品を事前情報なしに楽しんでいただき、そのうえでわたしの文言は文言として、読む機会がありましたら、お読みいただければと思います。

では、以下より講評です。………

 

 

 

参加作品

001 夜行世界|冬気

夏の終わりの頃。中学3年生の僕はこっそりと家を抜け出して、近所の高架下にある取り壊し工事中の公園へ向かう。その場所で一時を過ごすと、昼間の自分が経験した嫌な事柄の諸々を忘れ、気楽でいることができるからだ。ゆえに僕は、毎夜のようにここへきては、暗闇の、一人の世界で、ぼうっと過ごしていたのだが………その日。誰も居ないはずの公園には、自称高校2年生の樋口香澄なる先客がいて―――

現実逃避をした先で出会った、不思議な魅力を有する方との逢瀬についてのお話、だったと思います。

とにかくだだだとワンシチュエーションで作者様の思うエモ感情を武器とし、事柄をシーンでぶん殴ってゆくタイプの小説に思いましたから、「これがどういうお話か」についての状況説明は今回、あまり重要ではないのだと思います。とにかくそれらが最初の絵から、最後の絵に至った際にどういう感情を摂取できるかの部分に、重きが置かれていたと感じます。

ラストの場面などは特にそうで、そうした、光景の駆け巡る感覚が、そのまま表されていたシーンだったと思います。作中、なぜ彼はここにいるのか、なぜ彼女はここに来たのか、出会う運命にあったのか、突然居なくなったのか、再開するに至ったのか、など、それらはっきりとは描写されない理由付けのもろもろが、一瞬でだあっと開示され、終わりを迎えます。

ですからわたしは、この小説は、楽曲的な音と映像のもろもろを、そのまま、ミュージックビデオ的な組み方で小説として縫い付けたもの、と、捉えました。繰り出されるいろいろの言葉が短文でぱっぱと繰り出されて、光景が組みあがってゆく文章感のよさからも、そうしたものを思いました。改行は少なめであるのに、読み口がすっきりとしているからこそだとわたしは感じます。

ただそうした、なるべく事象の説明抜きに、みえる光景のみを書き出し、ラストまでもってゆく事柄に文言が集約されていたこともあってか。わたしとしてはどうしても、作中、何がどういう順番で起こっていたのか(前の世界の事柄も含めて)の諸々を、一回目の読書では、どうしても理解しきれませんでした。

文中の日付を、わたしはすべて順番に未来へ進むものと受け取りました。ので、仮に最初の日付を2021年8月15日としますと、最終的には2023年6月10日になっていると受け取りました。ですので最終的に、主人公は中3から高2になっていて、ヒロイン(主人公が助かる世界線の、記憶を継承したヒロイン)は主人公が高1のときは中3で、最後の再会のときには高1になっていると捉えました。が、もしかするとヒロインは、その3つ前の、主人公の記述である「9月1日」と同日に「朝、目が覚めると~」の記述を行っているやもしれず、その場合は最終的に主人公と同学年の高2になります。

同学年になる、という意味で、こちらのほうが自然なのやもしれない、と思いました。が、どちらで捉えればよいかがどうにも判断をしにくかったので、「これは前へ時間描写が戻ったりはしていない」と捉え、「主は高2、ヒは高1である」として、ラストシーンを読みました。時間経過や、どうしてひとつ前の世界のヒロインはこちらへやってきて主人公を助けようとしたのかなどの諸々が、もうすこし表層に出ていると、わかりやすく読めた気がします。

002 Run away|増田朋美

猛暑がおわり、穏やかな季節になった頃。製鉄所の理事長たるジョチさんは、病気療養のために日本からフランスへ移住した水穂さんが、施設でゆっくり過ごしていることを知り、安心する。一方その頃フランスでは、療養中の水穂さんが元気になるよう、杉さんが食べ物を食べさせようとする。が、彼女はどうしても食べてくれない。咳き込む口元にあてたちり紙は彼女の鮮血に染まる始末で、一向によくなる気配はなく―――

病気になった人が、自分にとって居心地の悪い土地から逃げて、思うように過ごせる土地で療養生活をする話、と解釈しました。

逃避のテーマに準じる形でこのような筋をわたしなりに抜き出してはみたのですが、このお話の内容は正直、このような形をしていないと思います。NHKさんで放映されている朝の連続テレビ小説など、あるドラマシリーズの、ある会話の一幕のみをぱっと視聴したときのような味がいちばん近しいものであると、個人的には思います。

ですからこの、今回読ませていただいた小説は、日常の会話の一幕を抜き出したがゆえにみえる各々の思考感覚や人生所感のようなものが、ひとつ魅力として、描かれていたお話なのだと思います。

読書感が独特で、現代を舞台にしているようで、なにか、宮沢賢治さんが描かれたような、現実でもあり空想でもある、童話的な世界観を基礎としたお話を目撃している感覚がありました。これはおそらく、日本やフランス、製鉄所や電話、ニュース番組など、見知った国、道具、建物、言葉が作中に出てくるものの、それら登場人物たちの存在する空間が、現実から切り離された場所に存在するものであるかのように、感じられたせいに思います。

このお話は背景におそらく、とてつもなく膨大な出来事や、人物同士の魅力的なエピソードが存在しているのだと思います。『たぶん単独でも読めます』ということでご参加いただいている作品で、それゆえわたしも読んだのですが、いかんせんどうしても、わたしは、このお話に登場する人物それぞれがどのような関係性にあり、どう魅力的であるか、などの事柄を、この一篇を読むだけで推察するのは、どうしても難しいものがありました。

これはおそらく、登場人物についての記述が、お名前だけの登場をされる方も含めて9人いらっしゃったために思います。それだけの人数の関係性が存在するものを7000字の中できちんと観測し、面白く書ききるには、字数的にも描写的にも、限界があると思います。

あくまでもこのお話を「フランスで療養生活をする水穂さんを中心としたお話」と仮定するならばですが、人物をフランスに存在する方々3,4人に限定して「療養をする瑞穂さんと、それらを支える人々のお話」として書くと、本編でもあり外伝でもあるお話として、成立したのではないかな、と感じます。

003 靴|草食った

足を撃たれた盗人ベリスは、身障者のみが住むドゥーナ村の人間に助けられ、聾者の歌姫・レオノールと出会う。その美しさと神聖さに衝撃を受けるベリスだったが、或る日、彼女がもうすぐ、この土地の王の妻の一人になると知る。「一緒に逃げよう」半ば衝動的に、村からの逃走を提案するベリス。その手を取るレオノール。こうして二人は村を抜け、森をゆき、ほんとうの自由が待つであろうベリスの故郷を目指すのだが―――

悪人が、匿われた村で出逢った娘と関係になり、逃避そのものを目的とした逃避行を開始するお話、と感じました。

最初の読みの時点で、「こういうのが読みたかった」となったお話です。作品としての世界観、行動をする人物の造形、やりとりがまずよかったですし、逃避をする合間合間に「なぜ二人はこのような逃避をはじめたのか」の起因につながるまでの過去の事柄が挿入されつつ末路へ突っ走ってゆく構成が、どうしようもない逃避というのを表しきっていたように思います。

逃避において大事なことは、夢を現実とすることでなく、ただただ夢を見続ける状態に居座り続けることであると、わたしは思います。夢を見続けていられれば、ほかをみずに済むからです。このお話では、逃避の果てに目指すものが「あなたの故郷」となった時点で、逃避行、であるはずなのに、過去との対峙を強いられています。この時点で、もう、主人公が現実に追われていことは明白なので、逃避の先にある末路が、死を伴う、かなりの危険性を有するものであることがなんとなく察せられます。

夢を見続けていようとするのに、そこへ無視できぬ現実、現状を突きつけられるのは焦燥に駆られる案件ですが、「いまそれをすると、あとで絶対にこうなる」という、逃避をすればあとで大変なことになるのに逃避を開始する、のは、麻薬的快楽物質の生じる事象であると、わたしは思います。一瞬の幸福を得ることと、そのあとの死、が選択肢に浮上した際に幸福の側を選択してしまうのは、その、幸福を与えるものがどうしようもなく魅力的で、対象を狂わせてしまうほどの魔性を有しているからこそなのだと思います。

そういう意味でも、聾者の歌姫・レオノールは、本人にはおそらく自覚がありませんが、他者どうしようもなく狂わせてしまう無自覚なファムファタル、めいたなんらか、だったのだと思います。ゆえに主人公は、村に匿われた際の、盗人として生きてきた経験、思考感覚を逸脱した、普段の彼ならば踏み込まぬ危険領域へいってしまったのでしょうし、国の主もラスト、歌姫を攫おうとした彼を、部下に指示して殺させるのでなく、わざわざ自分が出向いてゆき、始末したのだと思います。

歌や接触によって他者を癒し、幸福を与える存在でありながらそれにある種の破滅をもたらす存在である彼女は、ほんとうに魅力的で、厄介な人物だったと思います。境遇や身体的な特徴、そのすべてが、他者を狂わせてしまうものとして、機能しきっていたと思います。湖として澄んでそこにあるものを勝手な願望から別の場所へ移そうとしたり、自分のものにしようしたりすると、祟りが降りかかり破滅する、めいたものだと思いました。

ですからべリスと同じに、結局は領主も、彼女を妻とした途端に破滅へ向かう気がします。怪異的魅力を有する存在がレオノールという女性で、だからこそ片腕のないグスタフは、あくまでもただ湖の傍に居続けようとするのだと思います。

もっといろいろの事柄を読みたくなったのですが、これは、書かれている事柄がよいシーンすべてを凝縮したものになっているからこそであると思います。そうした感情に駆られるというのは、ほんとうに、読んだこのお話がよいものであった、ということだと感じます。タイトルの通り、靴にはじまって靴におわるのもよかったです。

004 茜色した思い出へ|あきかん

茜色の夢の中で、俺は何度も死んだ妹の亡骸をみる。俺に「愛している」と云い、「殺してやる」と叫んだ妹の死を………そんな、妹の死に囚われる俺も、いまは幸せの中にある。帰りを待ち、食事をし、一緒に映画をみる彼女がいる。そんな彼女に俺は今日、「一緒になろう」と伝えてしまう。妹の光景を忘れるために、ベッドの中で何度も何度も「愛している」と繰り返す。が、茜色の、死んだ妹の思い出は消えず、ますます俺の中で色濃くなり―――

トラウマを抱える男が、トラウマから逃れるために別のものを愛するが、愛するほど光景が色濃くなってどうにもならなくなるお話、と解釈しました。

事柄が判然としないお話で、もしかすると現実と夢とで光景が永遠にループしているのではないか、とすら思える内容でした。なんらかの状況下を彷徨い続ける男の心理が、この、判然としない内容と構成によって、表されていたと感じます。

個人的にすきだったのは、文章の書き方を変えることで、夢の中の光景下では「色と場面(赤一色、一枚絵。静止したもの=死)」が強調され、現実の光景下では「音とリズム(動作、所作、動くもの=生)」が強調されているところです。実際そうかはわからぬですが、夢と現実とで違う五感が描写の主、となっているので、なおさらそれらが別世界だと区別されていたように思います。

わたしはこのお話を、夢に囚われているがゆえに同じ罪を繰り返している男の話、と解釈しました。夢の中の妹(死の象徴)に、現実の女性(生としてすがるべきもの。生贄)を捧げ、男にその意思があろうがなかろうか、夢に許されるためには現実を夢に捧げるしかない。だから現実(愛すべき女性)を殺してしまう、それをずうっと繰り返している、のではないかと思ったためです。

間違いでしたら、なんともすみません。ただこのお話は、変なことを云いますが、それぞれがいろいろの解釈を行えるのがよい点であると思います。それぞれに違うなんらかをイメージする、させる、という事柄のために、作中の諸々の記述はあるのではないかと思いました。なにやらかを相手に想像させるために、背景の掴み所を極力少なくしているお話、という印象です。

ただ個人的には、主人公の犯した罪、「自分のせいだ」と思っている事件についての情報が、もうすこしなにか、断片的にでも追加されているとよかったのかもしれないと思います。どうしてその光景から逃げようとしているのかの理由付けを強くする、というよりは、それによって、こちらが行う解釈の幅が広がるのではないかと思ったためです。

いろいろ書きましたが、夢のなかの光景と現実の光景とで文章の持って行き方を変えている諸々がすきなお話でした。個人的には、このような文章ともってゆき方で書かれた怪奇幻想小説めいたお話を、機会があるなら読んでみたいです。

005 潮|尾八原ジュージ

大学四年の秋。留年の確定した僕は逃げ出し、あてもなく日本を北上した。そうしてある県へやって来たとき、僕はある中年と出会う。男は切羽詰まった様子で異様に水を怖がっており、きょろきょろ辺りを気にしながら僕にやたらと絡んできた。厄介である。ゆえに逃げ出したくなった僕は、次の駅で降りると決める。が、そんな僕に男は、「家族で車に乗ってさ。海に飛び込んだんだ」などと、ぞっとするようなことを云って―――

なにかから逃げている人が、なにかから逃げる道中で、なにかから逃げることの末期状態にある人間と出逢ってしまうお話、と思いました。

電車内へやってきた男の第一印象といい、不意にどんどん話しかけてくる事柄といい、どうしたって自分が応対をせねばならぬ状況、身なり、男の語る言葉の諸々が、とにかく「一緒の空間にいたくない」という感覚をひしひしとこちらに伝えてきて、厭で、すきでした。すっと不気味に出会って、すっと読み終われる読書体験が、とてもよいのだと思います。

「こわい/こわくない」の以前に、とにかく語りのうまさを感じました。逃避をテーマとしたお話としても、主人公の事柄と出会う人物との事柄がぶつかって、ある地点までたどり着いたところでそれぞれの、逃避に対する回答のようなものがきちんと示されるようになっていて、難しいことを簡単にやってのけているな、という心理に陥りました。だからこそ男は、わたしの脳裏にすうっと現れ、作中の主人公と同じに、不気味な話を聞かざるを得ない状況に陥ったのだと思います。

またこれは、別の事柄ですが、電車やエレベーター、バス、タクシーなどの、「AからBへ動くなんらかの空間」というのは、そこで生じるお話やアクションや出来事そのもの魅力を、妙に高めてくれる気がします。

空間内での出来事は空間内のなんらかにしか対処できないし、その対処は動く空間が目的地へたどり着くまで終わらないという、手段のある種限られることを、わたしが好いているのだと思います。ぼくはこれらを、主にアクション映画にて思うのですが、今回、不気味な話でもそういう状況が生じるのだなと、改めて感じました。

男が気味の悪い言葉を残し下車した後の記述は、いまの半分くらいの文量で同じ事柄をばっばと示してブツンと、オトとして終わらせてしまうほうが、気味悪いセリフの勢いを感じさせるまま事柄を終われる気がしました。ただこれは、わたしの好みがこうであるというだけ、曲調の違いに思います。いまの記述は主人公の実感に寄り添った組み方だからこそで、このほうが起こった出来事と心理の湿っぽさが活きますし、あとからじわじわと忍び寄ってくる不穏、の感覚が、効いてくるのだと思います。スッと読めてしまう読書感がとてもすきなお話でした。

006 悪夢の薫香|志村麦

悪夢にうなされる少女が、そのことを先生に相談する。先生は少女がぐっすりと眠れるよう、匂い袋を渡してやるのだが、やはり少女は悪夢をみる。悪夢の中で少女はいつもなんらかの恐怖から逃げていて、かつそれら猟奇的光景が、近頃街で起こっている猟奇殺人と重なるため、少女をますます不安にする。ゆえに先生は例の香をまた焚いてやるのだが、或る日とうとう、少女の悪夢の光景通りに、現実で姉が殺されてしまい―――

悪夢から逃れたい女学生とその面倒をみる先生のお話、と思っていたら、実は悪夢も女学生も先生のみる快楽狂夢の事柄で、逃れたいのは先生だったお話、と捉えました。

昔の小説の雰囲気があって、それがまずすきでした。好みの味をしているなと読みながらすぐに思いました。劇中のそれら、猟奇殺人や少女のみる悪夢、世間での出来事の諸々が、「先生に診察をしてもらっている少女」の口からいろいろ語られてゆくというのがもう、いいですね。

かつそれら告白が、最終的には、先生の犯したいろいろの罪によって先生の一部となってしまった、少女の霊魂たちの告白だった(少女と先生の対話のようで、実際にはすべて、先生の中で完結をしていた事柄だった)と判明する、事実のどうしようもなさがすきです。

少女がなんらかを先生に対し告白するという事柄の時点で、シチュエーションのよさを思います。禁忌を冒しているであろうことがなんとなく察せられる対話の距離感をとてもよいと思うためです。少女の外見、姿形をしているが実はそうではない、欲に満ちた、恐ろしさに満ちた、不純で不気味な裏の顔、内面を有する、少女の如き存在だったと判明をする展開には、それによってしか得られない薬効めいたものがあると、わたしは漠然と思います。

ただ、少女視点を主としてお話を語ってゆく雰囲気そのものを大事にされていたがゆえ、とはおもうのですが、小説内で起こっている事件や、人物の諸問題と関係性が、すこしわかりにくかったです。ゆえにですが、ラストで「実は」と明かされた事実の効き目が、100%の出力に達していない感じがあります。

もうすこしなにか、前半の、誤認のための手がかりがわかりやすく表で組まれていると、反転の衝撃が衝撃として効きやすくなったのではと感じます。少女視点の記述をもっとたっぷりといろいろ言及させるか、いっそ先生側の視点を増やすか、新聞記事を挿入するかすると、受け取りやすさとしてはよかったのやもしれません。とにもかくにも、文章の有している香りというか、雰囲気がすきなお話でした。

007 大体アイス食べてる小説|辰井圭斗

或る夜の小道で、慎司さんはわたしに「帰したくない」と云う。わたしはその、彼の精一杯の言動にぞくぞくとして、銀の環を薬指にした左手を「約束は守れますね」と彼に差し出す。こうしてわたしたちはコンビニへゆき、ものを買い、ホテルへ赴く。ハーゲンダッツのバニラを食べ、素敵なデートの思い出を語る。その先に待つ「行為」に対する、言い訳を重ねるようにして―――

ある男とある女が、不倫という、「よくないもの」とされる行為をすることで、互いの属するさまざまのものから一時逃れようとするお話、と思いました。

不倫は禁忌と思います。だからこそ高まるのだとも思います。共犯関係に陥り、二人だけの秘密を有することで、一種の逃避を行える機構、心の支えとなりうるものが、互いの心理内に生成されるのだと思います。

不倫の前に、過去の素敵な恋愛の思い出や白くて甘いバニラを選んで食べているのは、それら思い出や食べ物を踏まえることで、行為に一種の正当性を持たせているのだと思います。よしとされるものの延長線上に、駄目とされるものはあるのだよ、ということの持って行き方は、実に堕落のなりゆきめいていて、よい事前会話をしているなと、ただただ思いました。

これは個人的趣向ですので、気持ち悪かったら申し訳ないのですが、わたしはそうした読み物の場合、正統よりは不純方向のものに興味を発する趣があります。それはたとえば、女性が上手な、余裕綽々の振る舞いをして、男性がそれにたじたじとしてけれど頑張ろうとする場合などに、たいへんに効果を発揮します。もちろんこれはケースバイケースで、さまざまな要素が関わって、合う合わないが起こるのですが、今回は正しくわたしの中の、特定の趣向に対して生じる感情の発露が、きちんと起こったと思います。

かつまたこの短文には、行為、それ自体が、結局はまったく描写されません。いよいよそれに移る、というところで、フェードアウトしてゆきます。それがよいと感じます。もちろん、行為そのものをお書きになったなんらかもたいへん良いわけですが、この、短文には、事前行為そのものよさだけを頂くことのできてしまう、味のよさがあるのです。あるとわたしは思いました。

そう言う意味で、このお話は、かなり意図的にそれら場面だけを抜き取り、小説にしていると感じました。お二人にどういう境遇があり、どういった関係があるのかは必要最低限の情報にとどめ、それでも「これは不倫である」ということが判る程度に示してあるので、ある意味「覗き」をしているような、感覚に陥る気がします。覗きみているからこそ、この字数でありますし、ゆえのよさなのだと思いました。

一点あるとすれば、「逃避行」の文言がそのまま文中に出てくることなのですが、これはわたしが逃避行企画を主催しているせいで気になるのだと思います。やりとり自体の良さに満ちた駄目なことをするお話で、よかったです。

008 心臓を濯げキアウィトル|藤田桜

乾いた都市に再びの雨を降らせるべく、僕の妹は生贄に選ばれる。その日、妹はふといなくなり、ぽつんと木陰で涼んでいた。神の花嫁となる妹と久しぶりに会話をする僕だったが、とうとう別れねばならなくなる。すると妹が、僕に何かを云おうとする。が、なにも云えない。ぼろぼろと涙をこぼすばかり。様相に、妹の恐怖を悟った僕は、咄嗟に妹の手を取ると、妹の命を救うべく、あてもなくどこかへと駆け出すのだが―――

兄が、生贄になる妹を救おうとして衝動的逃避行を図るのだけど、あっというまに捕まってしまい、行為前以上の絶望の底に陥ってしまう話、と思いました。

神に生贄をささげ、飢饉や日照りなどの危機的状況を終わらせようとする行為、そのための人身御供の文化が存在をする王国の事柄で。そのルールが存在するからこその平穏と、信じるものを救うための方法と、それを受け入れられぬ苦しさと、受け入れてきたからこそのどうしようもできなさなどの諸々が表されているお話であると、個人的にはおもいました。

こうした習慣、宗教的なものに対しての知識を、わたしはほとんど有していないため、どうしてそのような、心臓を抉り出すなどという恐るべき行為が、なんらかの状況から人々を救うための方法として行われているのだろう、などと思ったのですが、いまはいまで、それがなんらか別のものに置き換わっているだけで同じようなものは存在をするし、主人公の彼がとった行動や妹の所作のようなものは、極めて普遍的な感情である、と最終的には思いました。

「妹を助けたい」と主人公が思い突発的行動に走ったのは、身内に理不尽の順番が訪れたことで、ようやく「この世界はこういうものだから」というルール以上に大事だと思える信条を自覚したせいなのかなと、思います。

こういう感情の発生はわたし自身もあるもので、そもそも、それがそうであると信じられている世界で、それに対してなんらか違和感を抱くか、信じられているものに対する非難のようなものを行うのは、その人によっぽどの考えと行動力、計画力、知恵があるか、これら世界観を有する人々とはまったく別の世界に属する人がそれら考えに疑問をぶつける衝撃か戦争でも起こらぬ限り、難しいのではと思います。

だからこその悲劇、といいますか、突発的に、いままで受け入れてきたそれに対し、衝動が勃発したからと抵抗をし、逃げ出そうとしたところで、それとの戦い方も逃げ方もわからぬ以上、それに捕まってしまうのは致し方ない、という気もします。いつそれがわが身に起こって、そう行動せねばならなくなるかわからない、という辺りに、この、悲劇の有するどうしようもない理不尽と恐怖と虚しさとが表されていると、わたしは思いました。等身大の行動ゆえの末路へ至ってゆくことの描かれ方が、よいお話だったと思います。

一点あるとすると、衝動から逃げだしたところの、とんでもない事柄の当事者に自分たちはなっているのだという戸惑いや、絶対に逃げ出せるという、なかば全能めいた感情が、もうすこし詳しく動作として書きだされているとよかったのかもしれないです。が、文章は現状がかなりの最適解であり表し方であると感じますので、無理になんらかをくどく書き足すといまのバランスが崩れる気もします。うだうだとすみません。

009 サーモン・オブ・ザ・デッド|武州人也

ある日突然、街はゾンビの巣窟と化した。小学生の創と航大は、さまざまの危機に陥りながら、航大の姉・理菜がまつ大学の研究室へたどり着く。すると理菜は、「ゾンビの発生原因はここの研究室で開発された鮭を、ある川に放流したのが原因」と告白。イクラ駆除への協力を求める。こうして三人は、超強力な毒を手に、発生地の川の上流を目指す。彼らは作戦を成功させ、未曽有の鮭ゾンビパニックを終わらせることができるだろうか―――

鮭を由来とするゾンビパニックから逃れ、ゾンビパニックを終わらせるべく、川の上流に産み付けられたイクラ駆除しに向かうお話、と思いました。

鮭がきっかけでゾンビパニックが勃発するなんらかをわたしははじめて読んだ気がします。猿をきっかけとして発生するのには『28日後』がありますけれど、鮭はないですし。詳しいわけでないからわかりませんが、なんにしてもはじめての体験でした。

サーモンの生態を活用して、お話の諸々を組んでいるのがおもしろいなと思いました。かつ、その生態に準じた気持ち悪さがあるのがいいです。ものすごい数のイクラのたまごが産み付けられていたシーンは普通に気持ち悪かったですし、想像したくないものでした。気味の悪いものが水の中にある、というのが、陸の上にある気持ち悪さ、とまた違った、独特の不気味を発生させているのではないかと思いました。

そうした生物の脅威を倒す方法が「上流へいってやばい毒を川に流す」というのが、もう、どうしようもない環境破壊大攻撃で、すきでした。こうなってはいけない、というものですが、ゴジラに対するオキシジェンデストロイヤーのようなもので、どうしたってそれを使わぬと駆除できぬ危機的状況というのが、これによって示されていると感じました。

そしてこの研究室のどうしようもなさをただただ思い知りました。ゾンビをなんらか発生させる研究室、なんてものはどうしたって倫理観がやばい研究室でしょうけれど、このお話は、短いながらも極めて正しく、愚かでだめだめな研究所ムーブを踏まえていたお話に思います。

サーモンが主役の作品、という趣のタイトルのわりに、サーモンの出番が序盤とラスト付近にしかないのが、すこしさびしいかもしれないです。ただ、本作における鮭は、あくまでもゾンビを生成する原因でしかなく、それになんらか、モンスター映画的攻撃力を求めるのは筋違いな気がしています。ただどうにも、『ギョ』のように鮭が陸へ進軍するわけにもゆきませんから、このあたりの塩梅がなんとも難しいお話だと感じます。

登場人物が猟銃を持っていたのもあって、サーモン由来のゾンビクマが登場しても良かったのではないか、という心理もありました。もしかしたら出てくるのかもしれない、と期待したのがよくなかったとは思うのですが、なにか、変化として一回、鮭由来の最強ゾンビ枠として、一匹最後に登場しても、よかったのかなと思います。ただ恐らく、そうすると字数が1万2千字以内に収まらぬ気がしますし、そもそも現状でもいっぱいいっぱいにことが詰め込まれている状態であると感じます。

とにかく、なにをどう登場させ活躍さすかの取捨選択が難しい題材だったのかな、という気持ちがあります。冒頭シーンからの積み上げ方から思うに、70~90分の長さにマッチする展開をどうにか30分に収まるようくみ上げたお話、という印象があります。いろいろの劇中の戦闘描写も、字数ゆえにカットをした描写があったやもしれぬと感じます。ラストシーン以降のなんらか、エピローグシーンがあるとうれしかったのですが、字数ギリギリでどうにか戦ってくださったのだなと思ったので、もうすこし字数上限を増やせばよかったやもしれないと、どうにも後悔をしました。

010 月台の道|椎葉伊作

両親のゴタゴタ由来で祖母の家へ預けられた僕は、そこで祖母と過ごすことで、はじめて人生の幸福を知った。が、ある日。僕は山中の、妙な門の向こう側で白づくめの女性と出逢ってしまい、それを知った大人たちは夜通しの話し合いの末、僕を村から追い出すと決めた。幸福な祖母との生活を失い、虐待をする両親との不幸な生活に再び舞い戻ってしまう僕………それから20年。すっかり大人になった僕は、ある願望を抱くまま、幸福の村、つくてな村を目指していた―――

幼いころ得体のしれぬものに出逢ったことのある男が、己をとりまく不幸から己を完全に逃がすために怪異を利用するお話、と解釈しました。

詳しいわけではないのですが、このお話は、怪談噺の形式をしっかりと踏まえたものだったと感じます。怪異がどういうものなのかどういった由来があってそこにあるのかなどは作中、まったく判然としないのですが、とにかくその門を越えると現象に取り込まれてしまうのだ、ある種の救いに至れるのだ、という、土地に根ざした厄介なものが表されていたのがよかったです。

主人公のいろいろの経験が、それにしか救いを見出すことができなくなったった結果の過程を示していて、もの悲しかったです。愛されなかった経験ゆえに負の出来事と感情を記憶するようになったのやもしれぬのですが、それに加えて、おそらくは怪異が彼に対して、「ここへ戻ってきたい」と思わせるような精神的影響力を、幼少期の邂逅時点で、彼に与えていたのだとも思います。

作中の、判然としない会話の文言から推察しても、彼がそういう選択をしたのはおそらくそうした事柄由来なのだと思います。母胎回帰的願望を相手に抱かせるものなのだと感じます。回帰、という感情には、ものすごくつよい願望が働くものだと個人的には思います。未来に希望を見出せなくなる、自分にあう、自分の慣れ親しんだものがいなくなるためにそうなる、といいますか、現在に生きているようで過去しかみなくなる状態は、だれであれいろいろの形で発生をするものだと思っています。

そう諸々を考えると、彼はある種の洗脳状態にあった、とも感じられます。視野が狭くなり、ある方向へ思考が極まる瞬間は、ただしくこういうものだと思います。わたしも経験があります。彼の至った「それのなか」という幸福は、彼の心理としてはどこまでも安らかで、かつあたたかなのでしょう。が、怪異の側からすると、彼を穏やかな状態にしたいとかそういう情はおそらくなにも有しておらず。どこまでもそれらしく見せることのできる仕草を有しているだけだと思われます。そしてそれらの活用によって、怪異は、己に魅入られたものを捕食する。己という現象を維持するための養分とする、のだと思います。

相手を快楽や強烈な印象などにより呆けさすことで生じる疑似的な恋愛や、それを由来として人物の勝手な願望成就、つまりは回帰、相手を取り込むことを行いうる怪異存在、というのがわたしはとても好きなので、そういう意味でもわたしは、このお話の雰囲気のよさを好いています。逃避のお話のようでありながら、実はまったく逃避でなくて、呼び込まれるまでのお話だったと、個人的には思います。

「よっつ」の、大人たちの会話は、ぼかさず明確に書いてしまってもよい、と思いました。そのほうが後の主人公の末路がはっきり察せてよかった気がします。末路がみえつつも当人は当人なりに頑張ろうとした、という風に、記述が活きる気がします。

また個人的にこれは、他者の攻撃にやられた人のお話、疲れ切ってしまった人のお話、愛に飢えた人のお話、己が動くことでなく、己に不幸を与える周囲、つまりは世の中にどうにかなってもらわぬことには幸福を実感できなかった人のお話、と感じます。ですので冒頭からもうすこし、そのあたりのとげとげしいもの、といいますか、どうしようもない、世の中に対する当人の不器用な接し方であったり、愛に飢えている焦燥のようなものが、渇望として、うまくいかぬ事柄として示されていると、最期の包まれたところのシーンが、より、埋没の、薬漬けの快楽めいたどうしようもなさを感じられて、よかったような気がします。

011 白百合が灼け落ちるまえに|赤猫柊

ゾンビパニックの発生した異世界。どうにか籠城生活をしていたドライアド(各々に自らの宿木を有し、それと命を共有する種族)たちだったが、仲間の一人であるエコ姉が、ゾンビに噛まれ感染をする。彼女を救うには苦しむ前に死なせてやるしかない。が、想いを秘めるトトリにはそれができなかった。そしてトトリは、エコ姉の血を口にして自らもゾンビになる末路を選ぶと、彼女を彼女の宿木のもとへ連れゆくことにするのだが―――

ある女性を好いていた女の子が、その人が不治の病で死に至ると理解した結果、自らも同じ病になることで、ようやく正直になれたお話、と思いました。

ともに死んでゆくお話というのは、独特の質感があると思います。すがるものが限定されるがために、どうしたって感情が凝縮されてゆくという、独特の高まりがあると、個人的には思います。滅亡ものにしても、なんらかの自殺へともにいたる話であったとしても、その、死の瞬間までの間になんらかを共有することが、しあわせな光景でもあり、つらい事柄でもあるという、そういうものだと思います。

そういう意味で、「もうすぐ死ぬから最後にある場所へゆきたい」「ある願いをかなえたい」というこのお話は、ただしく逃避行のお話であったとわたしは思います。逃避行、というよりは、ロードムービー的な味が近いかもしれません。旅の中でいろいろの騒動があったりごたごたがあったりしても、最終的にたどり着くのは死、という光景で。だからこそ旅の内容、一瞬一瞬が光景になりうるし、印象的なものになりうる、そういうことを思います。

恐らくですが今回、わたしは、異世界を舞台としたゾンビパニックものに、はじめて触れたと思います。ですから正直、もろもろの事柄をきちんとたのしめるか、少々不安があったのですが、全然心配委する必要はなかったなと、思いました。異界を舞台としていても、存在する感情は同じですし、もう、しっかりきちんと、なんらかの結末に至り、そして始まるという、お話であったと感じます。

文中でも脅迫、と書かれている、女の子の行動のやばさが好きです。暴走だと思います。が、暴走をしたからこそ、お相手はたどり着けたわけですし、最期に至れたのだと思います。この選択が正しいだとか正しくないだとか、そういう事柄ではなくて、こういうときにこういうことをしてくれる人が傍にいるといいな、あきらめる己の傍にいてくれると嬉しいな、というような力強さが、あったのだと思います。

いろいろ紆余曲折ありつつも最終的には、その彼女の暴走が世界をすくいうるなにかを生み出すまでに至るというのも、奇跡的すぎる夢物語やもしれませんが、そうした光景が結果としてもたらされたということ自体が、その、駆け抜けていった感情どものの凝縮を、表されていたように思います。自分には書けない文章の強さだったと、わたしは思いました。

彼女らの属していた場所の事柄や、お二人以外の人物との関係性など、前提として記述されている諸々が、お二人の行動の描写を、すこし圧迫していた気がします。削ってはいけない箇所もあると思うので気をつけねばならぬのですが、できる限りそれら前提の記述は、お二人の旅路に関連するものにのみ限定するとよいのではないかと思いました。冒頭を短縮できると、字数に余裕ができるので、二人の旅路をもうすこしたっぷり描いて行ける気がします。

012 行くよな?与那国島|偽教授

21歳にして童貞を卒業した俺だったが、彼女はかなり経験豊富で、以来俺は毎日のように散々搾り取られている。身が持たない。女抜きで息抜きがしたい。ゆえに俺は、同じ大学に属する悪友で、幼稚園からの幼馴染である白神尾花(男の娘の恋人あり。俺の花を手淫で散らせたこともあり)と、与那国島へゆくことにした。とても楽しかった。が、夜。ホテルで白神は「お前の彼女と比べてみてくれ」と俺に云うと、俺を組み伏せ、モノを咥えて―――

彼女との性生活から逃れるため、男友達(男の娘の恋人あり)と与那国島へゆくが、結局逃げた先でも性行為をするはめになるお話、と捉えました。

シリーズものの一作ということでしたが、きちんとたのしく楽しめました。おまけ漫画的に楽しめる側面のある、よい一篇だったと感じます。出てくる人物それぞれの関係性が、相関図を書ける程度には示されているのに、その文章量が必要最低限の事柄で簡潔に処理されているので、情報の整頓がうまいなあと、ただただ思わされました。

事前を読むのがすきだと、わたしは別のお話に云いましたが、今回のものは、バトル物の作品をみるときにバトルシーンそれ自体にうおおとなるのと同じよろこびの感覚があります。どれだけ短くとも、ほしいもの、つまりは行為シーンそれ事態がきちんと存在していることにうおおとなるタイプの事柄です。

もちろんそれらシーンだけがよいからこのような感想になるわけではなく。前提のシチュも、「行為につかれたから一旦男友達と逃げる→結果逃げた先で」と、簡潔ながらもしっかり「ああ、なるほど今回はそういう」という風に、事柄への期待ができるのがいいなと思います。

ほんとうにきちんと、あるべきものが無駄なく、絶対そこに存在をしているのだと思いました。そういう示しになっているので、結果的にそれら、また違った、奔放な性の関係性ないしは各々の日常や自堕落さを読みたくなる、期待してしまう風にできているのがよいな、と感じました。

言葉が正しいか判らぬですが、極めてそうした読み物(そうしたものでなくとも)として物事を達成させてゆきやすい人物たちがそこに存在をしているなと、思いました。人物それぞれの特徴とその配置が、とても優れているのだと感じます。ゆえに人と人を組み合わせるだけで自然となんらかお話が、行為が生じてゆくようなものに思います。とても理想的な性の乱れ空間です。シリーズうちの一篇、ある外伝としても読めるように書かれたお話の、そう存在さすために行う情報の組み方のうまさを実感させられたお話でした。

013 僕と彼女の逃避行|灰崎千尋

大学生の僕は、同じ軽音サークルに所属する憧れの存在である女性から、一緒に逃げてほしいと云われる。どうして自分なのかと問うと、僕のことが好きだからという。本心とは思えなかったが、そう云われて断れるわけが無かった僕は、彼女と共に部室を飛び出し、勢いに任せて海を目指すことにする。電車に乗り、駅に着き、ついに海へ辿り着いたところで、彼女は逃避の理由を語る。それは、自分の祖母を殺したという、予想した中でも最も重い罪だった―――

ある人に惚れている男が、その人に「一緒に逃げてほしい」と云われ、利用されているとは思いつつも、最後まで付き合うことにするお話、と思いました。

ほんとうにタイトルの通り、僕と彼女の逃避行について描かれたお話でした。劇的なシーンがあるわけではないのですが、軽快な読み味のようで毒気ある事柄がぶっこまれるところに、なんというのでしょう、言葉が悪いかもしれませんが、火サスのラストシーンごっこ、みたいなものを思いました。彼らなりにそういうふるまいを懸命に疑似的に行った結果が小説の内容だった、という感じです。

作中にふたりのいた場所、光景が、はっきりと浮かびやすいタイプの小説でした。大学、電車、海、病院と、いろいろの場所が背景にあって、その背景の前でいろいろの心理が展開し、吐露、が行われてゆくのがよいです。どちらにとっても、とりあえずでそうなるのに都合がよかったから、こうなったのだと思います。

もろもろを話し、最終的には自分が逃げることになった原因と、意を決して向き合う選択をするあたりに、個人的には心の強さを感じました。両者にとって相手は都合の良い、一時的な、己の抱えているものを吐露することのできるなんらか、でしかないと思うのですが、その、両社にとっての都合の良さがあったからこそ、彼女は「向き合う」結論を自分の中から取り出せたし、僕の側も、己を肯定していいという心境へ、至れたのだと思います。

互いが互いにとってある種自分の中にある願望上の理想存在として振舞えたからこそ、この結末は生じたのだと、わたしは思います。相手をなんらかのために利用するというのは決して悪いことではなくて、利用するからこそ始まることがらもあると、わたしは思います。これはそういう話であったと思います。あえてごっこ遊びをしたことで、ことがひとつ解決をした、関係がひとつ構築された、そういうお話だったのだと、わたしは思います。

逃避の諸々が軽やかで、内容的には「逃避をシーンとして演じた二人のお話」と思ったので、撮影場所の地名などは実在のものをまんま出してもよいのではないかと、個人的には思いました。そのほうが景色が安定するので、逃走のためだけに形成された二人の行動と景色が、もっと活き活きすると思います。軽快に毒気が放り込まれる感じがよいと思ったお話でした。

014 赤ずきんはナイチンゲール〜孤独な怪物である俺の元に、口の悪い思春期少女が押しかけてきて、なんか命を救ってくれたりするお話〜|和田島イサキ

森の奥に棲む怪物たる俺の家へ突然少女が駆け込んでくる。が、俺は怪物ではなく臭い中年おじさんだ。ロマンスを期待したらしい少女は俺の姿に落胆し、俺をひたすら見下しはじめる。理不尽を感じる俺。が、仕事はせねばならない。「服を脱げ」と、少女に告げる。俺は医者だ。が、その言葉を、少女はセクハラと認識。いろいろの罵詈雑言を発した挙句、真っすぐ俺に銃口を向ける。精神をズタボロにされた俺は「殺せェ!」と少女に迫り叫ぶ。転がり続けるこの騒動は、果たしてどこへたどり着くのか―――

医者で中年のおじさんが、自分を怪物と思いやって来たであろう夢みる少女に見下され、それでも医者として診察をしようとしたらキモがられ銃を向けられるお話、と感じました。

勢いでどこまでも突っ切っていった印象がありました。なにかがはじまりそうでずうっとはじまらない、空回り続けているというのが面白かったと思います。怪物のところへ逃げ込んできた少女、というシチュの時点で、かなりなんらか定番の味がしそうなものがそうはならず、あくまでもその室内で、主人公の中年男性がひたすらに対峙する少女のキモキモ攻撃を受け独白で思考を駆け巡らし続ける。挙句共同作業を開始し、一種の達成に至るという、かなり独特な味のものを食べてしまった印象です。

思うことは、突然に格闘技、つまりファイトははじまるのだな、ということです。この小説は、エモい感情だどうこうだとか、そういう、物語性を有したなんらか、とかそういうのではなくて、ひたすらにバトル描写だけを読ませていただいたようなものだったのだと感じます。「少女vs中年おじさん」の対戦を、わたしは観戦したのです。

だからこそお話のなかでの文言の登場が、隠しつつ互いの様子をみつつ、手札を己の有利な時にばあっと披露する、ぶつける、めいた形になっていたのだと思います。男の見た目や、服を脱げ、と云った理由が医者だったため、という事柄があとからあとから繰り出されるのは、それらが情報の提示というよりも、それによる攻撃を相手に仕掛けているのだと感じます。

事故から始まるファイトの質感は確かにこのような後出し感があるだろうなと、かなりの納得感がありました。Twitterなどで目撃する戦いに近いものがあるやもしれません。そういう、お互いの戸惑いと、すれ違いと、勘違いと、間違った想定という諸々がすべてどうしようもなく盛り込まれて練りこまれた結果出来上がるのが、おそらくはこの小説の状況と、アンジャッシュ感と、銃弾の発射と、共同作業と、最後の地点への到達、なのだと思います。勘違いコントのどうしようもなくこんがらがったバーションを読ませて頂いた、という感覚が、個人的にしっくりきます。

なんやかんやあったけれど共同作業をしたことで大団円、と思いきや少女をとんでもないなんらかに覚醒させてしまったやもしれない、という事柄が、すこしわかりにくいかもしれないです。もうすこしだけ、少女が狂気に魅入られたことがあからさまに記述されていても、よかった気がします。

「おじさんが医者である」ことが、コント的なら冒頭からすでに観客側には伝わっているべきだろうかと一瞬思ったのですが、これはなんともわかりません。全力でお互いにファイトをするデュエル感があるのは断然いまですから、これがベストな形式にも思います。こんがらがったものをやっているようでかなり緻密な計算のもとに組まれているお話なので、いまの状態を崩すのはよろしくないとつよく思います。

どうしようもなく空転する思考感がはちゃめちゃに押し寄せてくる、迫力満載の小説でした。喜劇のような悲劇のような、どちらでもありどちらでもない、いったいなんなんだこの戦いは、という感じが、個人的にすきなお話でした。突然さが色濃くきちんと描かれていたお話だったと思います。19作品中でいちばんはちゃめちゃだったのは間違いなくこのお話です。

015 帰郷|ナツメ

さいころ俺にいじめられていたおまえが、大人になった俺の前へ現れる。出会いをきっかけに当時を思い出した俺はふたたびおまえに暴力をふるった。とても気持ちよかった。付き合っていた彼女と別れおまえと暮らすことにした俺は、どんどんと人生を狂わせてゆく。ぜんぶ、おまえのせいだ。そしていま、俺は、おまえとの記憶のはじまりの地である故郷の小学校の前にいる。昨日、俺とおまえが、そういうことになったから―――

昔いじめをしていた人が、昔いじめられていた人と再会したため、かつての関係性を思い出し、ある末路へといたるお話、と捉えました。

暴力が完遂されるまでのお話でした。主人公の云う事柄は一方的な吐露で、極めて身勝手な暴力者側の心情が描かれていると思いました。が、それら行為が投げやりかというと決してそうとはいい切れず。彼なりの、どこかサイコ倫理由来ではあるのですが、暴力がキチンとひとつの解決状態に至るまで行使され切っているので、ある意味とてもすっきりとした味わいのお話だったと感じます。

完全にそう、ではないのですが、このお話は失恋というか告解というか、過去に思いを馳せつつ語るお話だったのだと思います。彼がなにか表現する場合にいちばん自分らしくことを表せるのが徹底的な暴力の行使だった、思い出させてくれたのが彼だった、と思いますから、嫌悪と支配欲とが入り混じった愛情的表現として暴力が最終的に相手の命を奪うまでに至ってしまうのは、もう、当然に感じます。

変化のための儀礼儀礼のために存在し、死によって彼を変化させる生贄めいた存在が、「おまえ」、だったと思います。彼自体はそのつもりがまったくなく、自然にそう振舞っていたのやもしれないのですが、人を狂わせるというか、欲の狂気に埋没させてしまうという意味で、彼は極めてファムファタル的な要素を有した存在だった気がします。

変なたとえですが、時代劇で、斬られ役が気持ちよく死んでくれるから斬る側は凄腕の剣士になってみえる、斬ることに快感を覚える、みたいなことに思います。だからこそ、最終的にはラインを越えてしまって、偽物の刀でなく本物の刀で斬りたくなる、実際斬って殺してしまう、という事象が、起こったのだと感じます。なんらかの共同行為の果てにある死、だと思います。

主人公が冒頭から語りかける「おまえ」が、生きたその人でなく、死んだ彼の黒髪だったと判明するよう組まれているのがミステリ的でよかったです。これが行われていることで、語り掛けるものが黒髪だと判ったあとも、彼の存在がそこにあるような感じが、あったのだと思います。

誤認を発生させつつ、それによってものの背景を強化していることに、お話の組み方のうまさをかなり感じました。形が綺麗、といいますか、ものがきちんとあるべき場所にあるからこそ、このような味に仕上げられるのだろうなと思いました。どうしようもない暴力のお話が達成感あるすっきりとしたお話になっているのが、よかったです。

016 虎は死して皮を留め|御調

ついに私の番がきた。署名により無数の命を奪った私が、この国で頻発をする反発由来の死を迎えるのは、ある意味当然であると思う。だからたぶん、逃げずに殺し屋と対峙している。殺し屋は依頼主からの伝言を預かっていた。ゆえに私も、私の犯した罪を憎み、このような手段によって私を消すことにした革命者たちに、次世代へ向けての期待の言葉を遺すのだが、殺し屋が告げた伝言は、もう、まったくの想定外で―――

罪を自覚する人が、恨む人々が雇った殺し屋に殺されることとなったので、覚悟を決めて殺されるお話、と思ったら、この死は己とは無関係の、空虚な逆恨みによってもたらされた馬鹿らしいものだったと判り、絶望の死を迎えるお話、と思いました。

恐らくは唯一、逃避、逃避行をテーマとして、「逃げ出すべき状況下で逃げずに、追いかけてくるものを待ち構える人」を書いていたお話だったと思います。主催のわたしとしては恐らく、みなさんなんらかの逃避、現実逃避なり逃避行なりで、空想でも実在の距離でも、移動を主としたものをお書きになるだろうなと考えていたので、これを読んだときはかなり、「なるほど」となりました。

「逃げ出したいが逃げ出さない」から「ああ、逃げ出しておけばよかった」と、自分の想定していたものと違う理由によって死ぬと判明をするオチがすきです。人物の想定の通りに終わらないあたりにお話の妙を感じましたし、追いかけてくるものを待ちながらもきちんと最後は逃避の事柄に収束をするうまさをただただ思わされました。

こういう、「想定と違うなにかにやられる」事案は、なんというのでしょう、自分がやらかしたと思って次の日職場へゆくときに、怒られるのはいやだけれど俺はしっかりと怒られよう、みたいな覚悟を決めたのに、まったくちがう、別の小さな事柄で怒られが発生した、自分の思うやらかしについてはまったく触れられることはなかった、みたいな、肩すかしの心理を受ける事象に、どこか、似ている気がします。そういうものが最大級になるとこうなるのでしょうか。と考えると、これは政治サスペンス的なお話のようで、実はかなり喜劇的な味のするお話だったと思わされます。

とても面白い、アプローチ方法がよいお話だったので、ゆえに、といいますか。「なにかに狙われるため、狙うものからどうにか逃げることにする」逃避のお話も、読んでみたくなりました。これは、このお話が悪い、ということではなく、このお話がすきなので、正統派とされるものも読んでみたくなった、欲が出たゆえ、とお思いください。

「一人一作までの投稿」ということと、本企画に投稿されるお話の多くがそういう形になるであろうといろいろ考慮されたうえで、このお話を書かれたのだと思います。そういう、諸々を踏まえたうえで書かれているのが、うまいなあと、もう、読めば読むほど、唸るしかありませんでした。「虎は死して~」のタイトルも、続く文言が本来ならば小説内容であるはずがそうならなかった、風になっているのが、もう、感心でした。

017 白の世界を夢に見て|おくとりょう

人間社会をよくするナノマシン、グレイクラウドが空を埋め尽くし、空から青が消えた世界。僕の友人ハルは、あるテロ事件に巻き込まれ瀕死の重傷を負ったものの、研究者によりサイボーグに改造され、生き延びる。が、研究者はハルの身体に、グレイクラウドを世界を滅ぼす悪の物質に変えてしまう邪悪な機構を組み込んだ。ゆえに世界に狙われるハル。それらと戦い続けるハル。彼と一緒に逃げる僕。果たして僕らは逃げ続けて本当の青空をみることができるのだろうか。と思っていたら―――

僕と、世界を滅ぼすサイボーグに改造されてしまった友人が、友人を殺そうとする世界から逃げ続けるお話、と思っていたら、実はそれらは、友人を自殺で失った僕のみる夢の中の事柄だった、というお話に思いました。

ぼくと世界を滅ぼしうるきみ、というシチュエーションがすきです。空から青が消えた世界、という設定がいいなと思いました。どうしたって世界を滅ぼしうる肉体に改造されてしまった理不尽と、それを有していつつも、どうにか自分を滅ぼそうとする者どもから逃れ、生き抜こうとする感覚には、健気なものを感じますし、青春の味を思います。

など、そうした事柄を展開しつつ、最終的にそれらを夢オチで終わらせてしまうのは、かなり大胆な構成だなと個人的にはおもいました。が、おそらく、このお話の主人公は、なんらかのSF的世界観に現実で離別した友人の事柄を当てはめでもしないと、その人とまともに話せないほど傷が深いのだろうな、と感じます。

主人公のトラウマゆえに、夢の中の友人は、死ぬとしたら、どうしようもなく理不尽な機構を悪者の行った改造手術により得たせいである。世界に殺されるせいである。という、理由付けになっているのだと思います。友人の自死の原因が自分にあるという感覚が強烈であるからこそ、SF世界観はあるし、夢オチがあるのだと思いました。夢の中の世界そのものが現実逃避の世界ということを強く読む側へ表すために、唐突にも思える夢落ちのラストをあえて選んだのだろうと、わたしは感じます。

ただ、どうしても夢オチですので、現実逃避を唐突さで表している、と思えればよいのですが、夢の中の設定の事柄がそれで終わりを迎えたことにどうしてももったいなさを感じました。諸々の楽しい設定と、なんらかの人物設定だけをプロモとしてチラ見せていただいたが、それらは本編にはほぼ登場しない嘘予告、劇中劇的なものだった、みたいな感覚です。

SF的な夢の世界と、現実世界の両方が、起きているときと眠っているときでAとBで同時進行をして、交差をして、最終的になんらかの答えにたどり着く、みたいな風だと、夢オチを生かしつつことを組めるのかな、と思ったのですが、おそらくそれが、このお話とともに本編を読んだときに生じる感情なのだと思いました。

ですからやはり、ある種嘘予告的に組まれていたこの、逃避のお話は、こうなるべくしてこう組まれていた、納得の構成だった気がします。現実逃避には唐突な向きもありますから、それをこうした組み方によってあらわしてくださったのだろうなと、わたしは思いました。

018 優しい逃げ場所|2121

家出少女がやってきてから、俺は随分と健康的な生活を送っている。家出少女、といっても彼女は俺の従姉妹である。家出をしたのは絵描きになりたい自分の夢を、両親に反対されたことが原因だった。公務員として働く俺は彼女の夢を絶対に応援したかったから、彼女の母には俺自身が「娘を説得する大人」とみえるよう、連絡のたびに振る舞っていた。これは、なかば共犯関係にある、公務員の俺と夢みる少女の、日々を描いた物語である―――

絵描きになる夢をもつ従姉妹が、両親の反対から俺のところへ逃げてきたので、できる限りのサポートをしようとするお話、と捉えました。

ほのぼのとしつつ、けれど抱えるものはしっかりとある関係性の事柄を、これだけの文章量で楽しめるのがよいな、と思った小説でした。ツイッターなどで遭遇することのある漫画のような感じが、近いものだろうかと感じました。なんらかの連載シリーズの第一回目を読んだ、といいますか、基本一話構成の、4枚の画像で構成された2週に1本か月1本の連続をする投稿漫画で、軽く読めるが満足感があるもののはじまりを目撃した感じだと、個人的には思います。

こういうお話は、読み通しやすく、手に取りやすいのがいい、と個人的には思います。ぱっとその場で遭遇できるし、ぱっとまた次を読むことができる、読むことでしんどくならない程度に毎回なんらかを摂取できるのは、内容が薄いとかそういうことではまったくなく、そういう風にひとつひとつの小さな塊を食べることに適しているからこそと思います。

この軽さだからこそ摂取できるものがあったり、触れられるものがあったりすると、個人的には思います。ことを重くしすぎず、けれどなんらかをするものは、読んでいるこちらとしては安心感があります。日常もののなんらか、めいた事柄だと思います(が、この小説はもしもっと続くならば、多少シリアスなお話も扱いつつ、ほのぼのとした日常を描くお話になるだろうなと感じたりもします)。そういうよさがあったのが、このお話に思います。

ラストの終わりの文言がかなりさりげないものなので、もうすこし終わり感ある文言でもよいやもしれません。最後に見得を切ることで、結果として全体の有する軽さがもっと活きる気がします。連載すればするほど、積み重ねで単話が活きてゆくタイプの小説であると感じますので、できることならなんらかの終わりまで、ここからまたお話を積み重ねていただきたいと、個人的には思いました。

019 それを人は幻や嘘とよぶかもしれないけれど。|宮塚恵一

私はもう、この人とお別れをしなければならない。そう、わたしは悟ったから、彼にやまびこの話をはじめる。私には昔から妖怪が見えた。けれどそれらは、私が、どうしてそれがそうなるのかという「ほんとうのこと」に気付いてしまうと、みんな私にさよならをして、どこかへ消えてしまうのだ。だから彼ともお別れになる。私が逃避をする間ずうっと傍にいた彼が、ほんとうは幽霊だと、私は気付いてしまったから―――

自分と一緒に、どこまでも一緒に逃げてくれる男の子が、実は幽霊だったと判明するお話、に思いました。

終わりの景色を書いたお話だったと思います。そのシーン感情だけでばっと殴りかかってくる短文凶器、という感じでしょうか。凶器、というと物騒になりますからすこしニュアンスが違いますが、とにかくそういう風にしてその場面の火力だけで、ばあっと飛んでやってくる、短いお話、掌篇だったと思います。

このお話は短いながらも、合間にて会話されているもろもろの事柄が、とても印象深いものになっています。妖怪がみえていたが仕組みを知った結果それはいなくなってしまう、という事柄について、やまびこの事象からはじめて最終的には幽霊との旅路につなげてゆくので、奇妙なものどもの事柄を、スムーズに受け入れられると感じます。

かつ、彼女を探し出した父からの情報により、それが幽霊であると確定する、という事柄も、説明こそないですが、この、存在するものの背景にそうした事柄が恐らくはあったか、関係性があったのだな、と感じられるところに、記述すくなくそれを描いている良さを思います。短いながらも組み方がよく考えられているなという印象で、よい味がしていたなと思いました。

個人的にこのお話は、〆によむにはなんともちょうどいい味付けと、量と、感情度合の小説だったな、という印象です。なんらかの短編集でもありますが、序盤、中盤、終盤と、収録されている場所が違うだけで、読んだ時の印象やよさが全然違うときがあります。とにかくしっくりくる位置にあったのが、このお話だと感じます。読書や映画鑑賞というのは出会うタイミングや体調がとても大事であるなと、改めて思わされた次第です。


この中から三作を選ぶなら

ということで、ここまで色々読ませていただいたお話の中から、個人的にすきだったものを三作、ピックアップしてゆこうと思います。選ばれなかったからといっておもしろくない、ということではなく、「自分に刺さったものを選ぶとこれだった」ということであると、ご理解いただけますと幸いです。

では、まずは一作目です。

1作目

一作目は 草食ったさんの『靴』 です。

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やられました。とにかくそれに尽きると思います。逃避行ならばこういうのが読めるとうれしいな、と思っていたものがほんとうに現れてしまったので、ただただすごさを感じました。世界観も登場人物も話の展開も終わり方もぜんぶすきです。ヒロインの彼女の歌声に聞き惚れ、癒されてしまったら、どうしたってああなるのだろうなと思いました。もっとみんな癒されてほしいし、そして破滅してほしいです。ほんとうにありがとうございました。語彙力がなくすみません。

2作目

二作目は 御調さんの『虎は死して皮を留め』 です。

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草食ったさんのお書きになった『靴』が、まさしくわたしの読みたかったズバリの逃避行ものであるとすると、御調さんのお書きになったこのお話は、「そうか。これも確かに逃避だ。逃避へのスタンスとしてありうる話だ」と、気付かされたお話です。

あくまでもわたしの感覚由来のたとえですので判りにくかったら申し訳ないのですが、『靴』がわたしのど真ん中に放り込まれた剛速球で「うわー」とわたしがどうしようもなくバットを振ってやられたお話、であるとすると、『虎は死して皮を留め』は、一見ボール球かと思いきやまったくそんなことはない、わたしの外角低めギリギリにキレいい変化球として放り込まれた厄介でとてもよい一球、という感じです。

ほかのいろいろの球があるからこそ効いてくる一球めいたものです。組み立てがうまいです。だからこそ強く印象に残ったし、「うわーそうかあ」とバットを振らされた、そういう一球。お話だったと思います。ありがとうございました。

3作目

三作目は あきかんさんの『茜色した思い出へ』 です。

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いろいろおもしろいお話があり、ゆえに三作目をなににするかですこし悩んだのですが、最終的にはこれを三作目とすることにしました。選んだ理由としましては、このお話が、19作品のなかで一番、自分の内包するものによってぐるぐるとやられているお話であると思ったからと、そういう事柄を行っているのに、文量がほぼ下限ぎりぎりであったからです。

わたしがこのお話を、自分の内包する怯えそのものを信仰としてしまった人の信仰物への奉仕についてのお話と捉えたからこそとは思うのですが、死ぬまでそれに苦しめられるであろう人の逃避と、逃避したくともできぬさまが描かれていたのがよかったなと思います。

投げつけられたモノをくらってダメージをうける、やられる、というよりも、モノをまじまじと傍へみにいってダメージをうける、いい意味で危険物タイプの小説だったとお思いくださると幸いです。どうにもならなさが好きでした。ありがとうございました。


さいごに

以上で、「逃避行」「逃避」がテーマの小説(新作書き下ろし限定)の講評を終えたいと思います。参加いただいた作者のみなさま、ほんとうにありがとうございました。また、本企画の企画ロゴを制作してくださった不可逆性FIG(@FigmentR)さんにも、あらためて感謝申し上げます。

はじめての自主企画を終えた感想としては、やはり、同じテーマでありながら、書きたいものはそれぞれまったく違うものになるのだなということでした。そしてそれが、とても面白く感じましたし、自分の書きたいものをしっかりと書けば基本的には人と違うものがきちんとできあがるのだろうな、ということも思いました。

最後に、といいますか。今回ご参加いただいた作品の分類表を、TLでおみかけしたものを参考に、突貫工事ですがつくってみました。わたしなりにわけたので間違っているやもしれませんが、なんらかの参考になれば幸いです。

「逃避行」「逃避」がテーマの小説(新作書き下ろし限定)分類表

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「逃避行」「逃避」がテーマの小説(新作書き下ろし限定)分類表


改めましてご参加いただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。全然間に合わず大変でしたが、自主企画をできてよかったです。またなにか機会がありましたら、そのときはよろしくお願いします。………

2021.11.03 宮古